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Vivobarefoot Japan 代表/Director Hideyuki Komine
2024年6月26日の夜、
その悲報は突然僕の耳に届いた。
その時、僕は北海道洞爺湖で行われていた土壌再生工事のワークショップにVivobarefoot Japanチームの他数名と参加していた。工事初日の決起会のような晩餐会の最中だった。十数人の参加者と火を囲み、自然や土壌、自分たちの生き方、仕事、ライフワークについて、未来に対する希望や楽しみをテーマに話していた。明るく楽しい時間だった。
そんな中、一緒にいた仲間の一人が突然僕を隅に呼び出し、倉上くんが富士山で意識を失い、そのまま帰らぬことになったと伝えられた。その時のことを今でも鮮明に覚えているが、僕は一瞬ショックで言葉を失った。
しかし、すぐに彼が2021年に心臓の病で倒れた後も命を賭してクライマーとして復帰し、最前線のクライミングを諦めずに生きることを決断した思いや言葉、そして彼と直接交わした熱いメッセージが走馬灯のように頭を駆け巡った。その瞬間、いま自分がただ悲しみに沈むのは違うと思った。
彼と彼の家族が共に決断したその思いに少しでも寄り添うことが今の自分に唯一できることだと考えて、空を見つめながら『恐怖・不安・もしかしたら大切な人たちへの罪悪感とも向き合い続けてよくやりきったね。頑張ったね、お疲れさま。今は空の上で何がどうなってるか理解できずにパニックになっているかもしれないけど、いや、倉上くんならこういう時もすぐに冷静になっているかな..』とか、できるだけ自分の感情に溺れずに、ただ彼のことを想うことに専念した。
プロフェッショナル・ロッククライマー倉上慶大は2024年1月16日からVivobarefoot Japanのアンバサダーとして正式に加入してくれた。
ブランドアンバサダーの訃報に際して、本来ならすぐに何かしらのアクションや言葉を発信すべきかもしれないけれど、自分にはそれができなかった。早期に畏敬の念を届けるほうが正解だったのか…正直いまでもわからないし時間がかかったことで家族や関係者、ファンからは希薄だと思われているかもしれない… そんな不安もあったし今もある。
けれどその時間が掛かってでも、彼に想っている自分の中に溢れるこのまとまりのない感情に100%向き合える環境の中でしっかりとまとめて言葉にしたかった。
これがVivobarefoot Japan としての正式な発表になるのかどうかは分からないしそうじゃなくても良いと思っている。けれどブランドの代表/ディレクターとして、間違いなく心と心で彼と対話しながら関わってきた自分自身のありのままの言葉を、この場を借りて彼に捧げたい。
倉上君へ
もしかしたら伝えていなかったかもしれないけれどじつは2020年当時、まだ国内でVivobarefoot Japanを立ち上げたばかりで、ほぼブランドとして誰にも認知もされていなかった頃、僕たちが初めてブランドのアンバサダーとしてラブコールを送ったのが倉上君でした。
ほぼダメもとで、それでもとにかく自分の想いを綴ったあのメールの送信ボタンを押す瞬間の緊張感はいまも忘れません。
その返答は倉上くんも知ってのとおりNOだったけど、それでもその回答はただのぶっきらぼうな断りではなく、他の契約ブランドとの関係やその時に追求していたスタイルとの相違だったり、その理由も誠意をもって伝えてくれたことを憶えています。
それから2年後の 2022年2月28日、その3ヶ月前に大きな病に倒れ、そこから完治の保証がないリハビリに向き合いながら、それでも命を賭してプロクライマーとして最前線のクライミングを追求することを決断し活動を再開した倉上君から、あの特別な日の投稿とともに、直接送られてきたお礼のメッセージは、自分にとって本当に思いがけない嬉しいものでした。
倉上君の人生の特別な日になったあのライン、自分は単なるその岩の発見者だったというだけなのにね…。
それでもあの言葉に心から感動して、自分の中の何かも一緒に動かされたあの経験は、一生の宝物としてこれからもずっと忘れずにとっておきます。あらためて、本当にありがとう。
さらに1年後の 2023年6月、プロクライマーとして完全復活を思わせてくれるような精力的な活動や実績を重ねていた倉上君から、またもや思いがけず送られてきたメールは、ベアフットとVivoへの熱い思いとお礼のメッセージでした。
あれは病をきっかけにクライミングとともに身体や健康へのさらなる追求を深めていた倉上くんが、僕らがやってきた「裸足から本質的な健康や豊かさを追求していくという活動」と必然のようにリンクした瞬間だったよね。
同時に、その瞬間は自分にとって特別で、2020年に倉上君にアンバサダーのオファーを断られた後も、信念を持って活動してきた自分たちの方向性が本質的に間違っていなかったのかもと感じて、まるで先輩に認められたような気持ちになって、これまでの努力が報われたような、そんな嬉しい瞬間でもあったんだよ。
倉上くんはいつも変わらないその姿勢と言葉で直接的にも間接的にも周りの人たちの背中を押せる人だったね。
少なくとも自分はこんなふうに何度も背中を押してもらっていたんだなと、今こうしてメッセージを綴りながら再認識しています。
倉上くんが逝ってしまったことに、いま悲しみ暮れることはきっと違うだろうなとわかっているけど、ようやくこれからVivobarefoot JAPANで倉上くんと一緒に面白いことが出来ると思っていたから、あんなことやこんなことを一緒にやりたかったなとか、自分達だけでは絶対にできない熱いメッセージを倉上君となら一緒に届けることができただろうなとか、どうしても頭をよぎってしまうし、それがもう叶わないんだなと思うと、それだけは本当に悲しいし、辛いし、涙が溢れてきます。
だけど倉上君が残した沢山の偉業やその想いや言葉から、僕たちが代わってメッセージを残すことはきっと出来るはずだから、許されるなら、それをさせてもらうためにもこれからもVivobarefoot JAPAN のアンバサダーでい続けてほしいと思っています。
いまはまだ自分たちに何が出来るかははっきりと分からないけど、必ず倉上くんの想いが誰かの心に残って引き継がれるような、そんな機会をいつか作りたいです。
きっと自分と同じ想いでいる仲間たちが自然と集まってくるはずだから。
あらためて
倉上くん、本当にありがとう。
これからもずっとよろしく。
2024年7月6日
Vivobarefoot Japan 代表/Director Hideyuki Komine